茶、美、くらし

お茶と食事 余珀 店主。お茶、日本の美、理想のくらしを探求中

黒板に白いチョークが走る。大きく描かれた円。その下に文字が書かれる。



「これは円ではありません」



先生はそれだけ書くと教卓についた。教室に入ってからここまで、終始無言。今もただ黙って座り続けている。

描かれているのはどう見ても円だ。一円相。緩やかにカーブを描き、終点が始点につながってできたこの図形の呼び方を「円」のほかに私は知らない。円ではないとしたらこれは何だ。球か。円錐を上から見た図だろうか。あるいは円柱。いったいどういうことなのだろう。



「現代美学」の授業はいつも予想がつかない始まり方をする。先生の突飛な行動。唐突に流される映像。学生は必死に意味を探して考える。ある時は「太陽がいっぱい」を観て時間について考え、ある時はドリフのコントを観てパラレルワールドについて考えた。次は何がくるのか、毎週楽しみだった。 



この日のテーマは、いかに言葉に思考が引っ張られるか、だった。黒板に描かれたのは円。円で正しい。つまり、間違っていたのは「円ではない」という言葉の方だったのだ。視覚がその図を円だと認識しているのにもかかわらず、下に書かれた言葉に引っ張られ、見えているものを疑うという現象が私に起きた。感覚で得られたことより言葉を信じてしまう。疑いもなく。無意識に。無自覚に。この体験は衝撃だった。



言葉の力。影響。その大きさ。自分の目を、耳を、鼻を、その感覚をどれだけ信じられるか。守れるか。あの頃より圧倒的な量の、ペラペラの紙吹雪みたいな言葉たちに全身を覆われながら、あの授業を今でも時々思い出す。忘れてはいけない、と思う。先生は大切なことを教えてくれた。 



大学4年の5月。教育実習の最終日。好きに使っていいと言われ、自由な授業時間を1コマもらった。何をするか迷わなかった。無言で教壇に立ち、チョークを握って黒板に向かう。大きな円を描き、その下に書いた。「これは円ではありません」と。



f:id:ashogaki:20190322232703j:plain


#円