茶、美、くらし

お茶と食事 余珀 店主。お茶、日本の美、理想のくらしを探求中

文庫

青山に2年ほど住んだことがある。小学1、2年生のころ。父の転勤のためだった。幼少期を賢治のふるさと、花巻で過ごし、その後引っ越し。阿佐ヶ谷に1年住み、小学校入学のタイミングで青山に移った。計3年間を東京で過ごした。



家から小学校まで歩いて5分もかからなかった。学校の隣にはボンヌさんというパン屋さん。アンパンマンの形をしたパンが好きだった。イチョウ並木でも墓地近くの公園でもよく遊んだ。自転車に乗れるようになったのも、側転ができるようになったのも、青山だった。



学校を正面に右に向かうと大きな通りにぶつかる。そのまま外苑前の駅の方向にまっすぐ進む。左側に並ぶビルの一つに目的地がある。灰色の階段をかつかつ上がってドアノブを回すと、そこが「文庫」だ。



母に連れられて、やがて一人で、「文庫」と呼ばれる場所に通った。スヌーピーの描かれた赤いナイロンリュックを背負って。行きには返す本が、帰りは借りた本が、そこに入っていた。一人で本を借りることができるようになったのも、青山だった。



「文庫」は狭い。扉を開けて靴を脱いで入る。下はカーペット敷き。両側が棚になっており、本が天井までぎっしり詰まっている。棚と棚の間は、人がすれ違うのがやっと。壁際には目隠しのためか、上からくすんだカーテンのような布がたれ下がっていた。たぶん画鋲で布を止めていたのだろう。壁付近でよく画鋲を踏んだ。



本棚を抜けた奥のスペースで時々本の読み聞かせをやっていた。おしくらまんじゅうをするように床に座り、何回か私も聞いた。貸出処理はカードにハンコを押すというアナログ式。受付してくれるおばさんたちもみんな親切だった。



エルマーも、モモも、ピッピも、カッレくんも、出会ったのはここだった。あんなに狭いのに、じっくり目を凝らすといつも面白そうな本が見つかった。決してきれいというわけではなく、どちらかというと雑然とした、古くて懐かしいにおいのするあの部屋。昼間でも薄暗く、外とは違う時間が流れていたように思う。でも、不思議と居心地がよかった。



2年生の終わり、また岩手に戻ることが決まった。「文庫」にもお別れの挨拶に行った。おばさんは残念だと言って、餞別に本を一冊くれた。からし色の表紙。つるつるではなく、しゃらっと細かい繊維が感じられるような手触り。気に入った。「ルーシーのぼうけん」という本だった。冒険物ばかり読んでいたから、選んでくれたのだろう。私はルーシーと一緒に東京を旅立った。



小3を迎えた盛岡の学校で「自分のマークを作る」という宿題が出た。本の絵を描き、それを自分のマークにした。その年、学校の図書室で100冊借りて読んだほか、自宅や教室の棚にあった本を読み、公民館でも2週間ごとに借りて読んだ。その後も転居が重なり、合計3つの小学校に通った。引っ越し先に父が求めた条件はいつも一つ。「本を借りられる場所が近くにあること」。住んだ先々で新しい「文庫」に通い、それが私を育てた。



外苑前駅の近くに来ると、つい探してしまう。私的精神と時の部屋。どこにあったのか、もう見つからない。きっと修行が終わると消える仕組みなのだろう。秘密めいたあの雰囲気。あそこで覚えた本を選ぶ楽しさは、今も変わらない。今日も近くの図書館に行く。そこが今の私の「文庫」だ。


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