茶、美、くらし

お茶と食事 余珀 店主。お茶、日本の美、理想のくらしを探求中

余珀日記14

新しい年。玄関のきびがら細工はネズミから牛に変わった。次にまたネズミを飾れるのは11年後。その頃我々がどうなっているのか、見当もつかない。


このきびがら細工は西荻時代からの常連のお客さまがくださったものだ。昨年11月、ネズミに引き続き「牛が届いた」とわざわざ登戸まで渡しに来てくださった。


昨年末、ご近所だったお客さまが登戸を離れた。引越が急に決まったという。テイクアウト営業の頃から何度もいらしてくださった方で、もう同じ街にいないと思うととても寂しい。


その一方、昨年末にはじめてご来店されたお客さまが今年になって余珀の近くに越して来られた。余珀を始めて一年も経っていないが、別れがあり出会いがある。確実に月日は流れている。多摩川の流れは絶えることはなく、流れる水はもとの水ではないのだ。


牛のきびがら細工をくださった時、その方がおっしゃった。思ったことは思った時に全部やるようにしている、と。いつかと思っているといつかは来ないかもしれない。そう言って、きびがら細工の他にも素敵な贈り物をたくさんくださった。


以前いただいた泉州ナスの漬物に、言われたとおり胡椒だけをかけて食べたらとても美味しかったこと。あるドキュメンタリー映画を観た時、映画が大好きなその方を思い出したこと。現代美術館で吉増さんの展示を観た時、その中に名前は出ていなかったけれど辺見庸に関する記述があったことに気づいたこと。気づけたのはその方のおかげであること。


その時思いついたこと、思い出したこと、伝えられることを全部その方に伝えた。できることをできる時にした方がいい。次にいつ会えるのか、会える日が来るのか、誰にも分からない。


登戸に越して立春でちょうど一年。玄関の牛を見るたびに思い出す。一期一会という言葉の重み。じっくりゆっくり噛み締めていきたい。


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余珀日記13

学生時代の友人が来てくれた。彼女は我々を「あやっぺ」と「かっつん」と呼ぶ。彼女がいなければ私と夫は出会っておらず、当然余珀も生まれていない。年内最後の通常営業日に相応しい特別なお客さまだった。

その夜、彼女は私の家にやってきた。彼女お勧めのラーメンズのビデオを一緒に見ることになっていた。深夜に見終わると、明日からあるゼミが始まることを彼女は教えてくれた。

それは就職活動に向けた作文教室だった。元新聞記者の先生が文章を見てくれるのだという。深く考えもせず行くことに決めた。

次の日、雨の降るなか約束の研究室を目指した。時間ぴったりに建物に着くと、エレベーターのドアが閉まりかけている。急いで駆け込むと中で「開」ボタンを押し続けてくれている人がいた。膝まである紺色のレインコート。目にかかりそうな前髪。大人っぽいので大学院生だと思った。はじめて夫に出会った瞬間だった。

大学院生だと思った彼は私と同じフロアで降り、同じ教室に入ってきた。私たちは毎週与えられたお題で文章を書いて提出し、毎週先生に添削を受け、毎週仲間からコメントをもらった。我々はその頃から一緒にいる。エレベーターで出会ったことは夫も覚えているらしい。

2020年。彼女は二児の母になり、ラーメンズは活動を終了し、我々は余珀を始めた。毎年年末に誕生日を迎える夫とその年を振り返る。毎年「今年はすごかった」と言っている気がするが、今年は本当にすごかった。出会ってから今まで、人生の楽しさを更新し続けられているのも夫のおかげだ。ありがとう。来年も楽しく余珀を育てていこう。お誕生日おめでとう。

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余珀日記12

余珀を始めて半年が経った。毎日が早い。毎日全力で毎日くたくた。この記録のタイトルは「余珀日記」だが、「余珀月報」とした方が良いような更新頻度になっている。書きたいことはたくさんあるのに追いつかない。

 

好きな人と好きな場所で好きなことをやっている。好きなことしかしていないけれど、楽ではない。でも、とても楽しい。お客さまのおかげだ。

 

「感動しました」。若い男性のお客さまが真っ直ぐに伝えてくださった。お茶にこんな世界が広がっているなんて、と。ピュアな反応が眩しい。

 

「さっきの一煎目のあの味は、この後はもうどうやっても出ないんですか」。そう聞いてくださった若いお客さまもいた。玉露の味が衝撃的だったようだ。同じ味は出ないと伝えると、もう少し味わえば良かったと残念そうにしていた。

 

急須でお茶を楽しんでくださる最年少のお客さまは小学生だ。いつもカウンターでお茶を淹れる夫の手元をじぃっと見つめている。二煎目以降、小さな手で急須を持ち、お茶を淹れ、それを本当に美味しそうに味わう。可愛らしく、こちらも嬉しくなってしまう。

 

「お茶に魅了され始めた」と静かに語ってくださったお客さまもいた。「かぶせ茶が好きかもしれない」とご自身の好みを見つけられたお客さまもいた。余珀がお茶と出会い直す場になっていることが素直に嬉しい。

 

一日を一生懸命過ごしてそれを記録するとそれだけで物語になる。カフェという場所は特に面白い物語が生まれやすいと思う。書き残すことさえできれば。

 

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「ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)」

岩手一関のジャズ喫茶ベイシーのドキュメンタリー映画。一関には父の実家がある。ベイシーは有名で前から存在は知っていた。


弟は来訪経験があり、その感想を「爆音でライブハウスみたいだった」と語る。オーダーも指をさして取る形だったらしい。音の大きさにも菅原さんのこだわりがあるとこの映画を観ると分かる。


ライブになかなか行くことができない今、映画館で音を全身で聴くという体験そのものにまず感動。音に揺さぶられるなんて久しぶり。


マスターの菅原さんをはじめ、出てくる方々の言葉が一つひとつ心に残る。話し方のイントネーション、ちらっと映る一関市内の風景や中尊寺が懐かしい。たぶん毛越寺の庭園も映っていたように思う。


50年という時間の重み。音を再現するということ。ベイシーをベイシーたらしめているもの。菅原さんの矜恃。格好良かったなぁ。ありがとうございました。


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余珀日記11

右目から糸が出ている気がする。髪の毛だろうか。よく分からないが糸状の何か。右目周辺を指で触る。鏡で見てみる。探しても糸は見つからない。


3年前の10月、顔の右側を3箇所骨折した。鼻と口の近くが2箇所裂けて縫った。前歯も欠けた。左足も切れて縫った。縫った顔を隠すのに半年ほどマスク生活を送った。


折れた骨は1ヶ月でくっつき、縫った箇所も1年でほぼ目立たなくなったが、右目周辺に小さな違和感は残った。恐らく骨折した時に神経か何か切れたのだろう。今でも時折、右目から糸が出ているような錯覚に陥る。顔の皮膚の下はきっと糸状のものが寄り集まってできているにちがいない。


怪我をした当時、毎日マスクを付けていても意外と目立たなかった。冬は風邪かと聞かれた。春は花粉症かと聞かれた。怪我の説明が面倒な時は「そんなところだ」とお茶を濁した。本当のことはいつだって外からは分からない。


半年もマスクを付けて生活するなんてあれっきりだと思っていた。感染予防のため。ひょっとすると怪我を隠すため。大勢の人がマスクをする今、紛れることができてほっとしている人もいるかもしれない。


楽しそうにおしゃべりをするお客さま。お連れさまが仕事に夢中なのを寂しそうに見つめるお客さま。愛する誰かに想いを馳せるお客さま。マスクを外した人たちのいろんな表情が見える。楽しそう。寂しそう。幸せそう。そう見えるけれど、そうではないかもしれない。マスクを外したって本当のことは外からは分からない。


せっかく傷を負ったのだから、その分何かを感じられるようになるといい。細胞に味蕾が増えるように、何かを感じ受け取る力が強くなるといい。分からなくとも分かろうする自分でありたい。


分からなくとも祈ることはできる。毎朝、包丁を手に取る前に祈る。今日いらしてくださるお客さまが幸せで溢れますように。喜びで溢れますように。お客さまにとって今日という日が「よい一日になりますように」。


https://ashogaki.hatenablog.com/entry/2018/11/06/180816


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余珀日記⑩

「旅行に来たみたい」。お客さまによくそう言われる。和と洋が混ざった異空間。時の間のエアポケット。余珀は民家を改装したお店だ。オーナーさん渾身のリノベーションを生かしつつ自分たちの手を加えた合作である。


門からドアに至るアプローチは茶室につながる露地のよう。飛び石が入り口へと誘う。小さな立て看板が迎える先が玄関だ。靴を脱ぎスリッパに履き替えて中へ入る。


まず目に入るのはオーナーさんこだわりのカウンター。明るいミントグリーンの板はフランスのアンティークのドアを横にしたもの。その上のテーブルはジムビームの工場の廃材をフグレンコーヒーで染めたものだ。


入り口から見てカウンターの右に壁がある。照明が付いている上の木部はバスケットコートの床だったそう。言われてみると何だか体育館っぽい。


キッチンの青いタイルもオーナーさんが貼ったもの。吊り戸棚の上に配された木材は現在伐採禁止となっているハートパイン。戸棚の扉の色は我々でダークなトーンに塗り替えた。


店内の照明もいじっていない。広い客室は和風照明が照らし、他にもフランスやデンマークのアンティーク照明が随所に設置されている。


オーナーさんのこだわりは細部にまで及び、まだまだ書ききれない。少し前に知ったが、建物の周りに敷かれた玉砂利は東西南北で色を変えているらしい。これはもはや結界だ。このお店は見えない力に守られている。


もう一つの客室はもともとは明るい木の色の部屋だった。ここは自分たちで天井、壁、床の色をすべて暗く塗った。壁はポーターズペイントの「煤竹」という色。名前も色も気に入っている。


はじめてのDIY。電動サンダー。養生。シーラー。漆喰。バトン。ポーターズペイント。アイアン塗料。ニス。手を加えるごとにこの空間に愛着がわいた。やって良かったと心から思う。


3月のお披露目の日に、以前この家に住んでいたというご家族がいらしてくださった。カフェとして開かれた場になったことに「またここに入ることができて嬉しい」と喜んでくださった。


オーナーさん、仲間の大工さんたち、住んでいた方々、我々、そして今いらしてくださっているお客さま。たくさんの人のたくさんの愛がここに注がれている。「気持ちいいなぁ」。私も夫も、毎日何度となくこう呟く。我々の声もお客さまの声も、たぶん余珀に聞こえている。皆に褒められて前より堂々としてきた気がするのだ。このお店は。


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余珀日記⑨

最近、お茶に手紙を書いている。このお茶を飲んでどんな気持ちになったか、味や香りとともに自分の感情を味わい、それを言葉にしている。


手紙を書くうちに思い出したことがある。子どもの頃からお茶はわりと身近にあった。父の実家までおよそ100km。母の運転でたどり着くと「よく来た」と出迎える祖父母。さっそく皆こたつに集まる。すると祖母が鉢にぎっしり白菜の漬物を盛ってくる。湯呑みにお茶が入り、漬物でまず一服。いつもこれが定番だった。ざっくばらんな何でもない日常の風景。実家の両親は今も毎食後お茶を飲んでいる。


大人になり茶道に目覚めてから、急須で淹れるお茶と出会い直した。玉露の味もその頃知った。今までの湯呑みのお茶のイメージが覆され、淹れ方で味も香りもまとう雰囲気も作れる世界もこんなに変わるのだと驚いた。そのうちお気に入りの急須や茶器を手に入れ、毎朝出勤前にお茶を淹れて飲むのが習慣になった。


お茶の好きなところは余韻だ。飲んだ後、口内に残った渋さは甘く変わる。歯磨きをしたかのような清涼感。深く呼吸をするとそのたびに甘やかな香りが口の中に蘇り、心がほどけていく。気持ちがととのう。会社員時代、クレーム対応でストレスを抱えた朝もお茶が何度も救ってくれた。


嬉しい時も悲しい時もイライラしている時もしゃきっとしたい時もお茶はいつでも優しく寄り添ってくれる。どんな感情も受け止めてくれる。ずいぶん懐の深い飲み物だと思う。そして飲んだ後は心がなんだかニュートラルになっている。お茶のそんなところが好きだ。


そんなお茶と出会ったから心に余白ができた。そんなお茶と出会ったから人生を見つめ始めた。人生が変わり始めた。そんなお茶と出会ったからこの余珀はできた。


余珀で毎日素晴らしいお客さまと出会えている。皆さま「ありがとう」とか「美味しかった」とか、メッセージや投稿でわざわざ言葉にして伝えてくださり、そのたびに感動する。本当にありがたい。


その瞬間に何をどんなふうに言うのが適切なのか分からず、黙り込む子どもだった。「気持ちは言葉にしないと伝わらない」、よくそう叱られた。たぶん、黙るから書くようになった。だから手紙なのだろう。気持ちを言葉で伝えてもらう嬉しさが今ならよく分かる。お茶にもお客さまにも伝えていきたい。心からの感謝を。



※お茶への手紙→ https://www.instagram.com/seven_chamurai/


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