茶、美、くらし

お茶と食事 余珀 店主。お茶、日本の美、理想のくらしを探求中

千葉神社

敬老の日。弟を誘って千葉神社に参拝した。妙見様を祀る千葉氏の神社である。祖父が生きていれば、たぶん喜んでくれただろう。千葉という地の平穏を祈り、ここに来られたことを感謝して神殿に手を合わせた。参拝の後、二人でお蕎麦を食べた。そういえば15年ほど前、弟と二人で会津を旅した時も蕎麦を食べた気がする。当時会津に住んでいた妹を訪ねる旅だった。姉弟水入らずというのもなかなか良いものだ。



父の家系は千葉氏の流れを汲んでいる。千葉氏は月星紋。千葉神社も同じく弓張月に一ツ星が神紋である。我が家紋は月に三ツ星。祖父の遺した家系図によると九曜紋だった時代もあるようだ。妙見様を氏族の守り神とし、北極星、北斗七星を祀った千葉氏。記録は混乱しているが、父方が妙見信仰の家系であることはほぼ間違いないと思う。聞くと、母方の家紋も九曜紋であるようだ。場合によっては両家とも千葉氏に縁があるのかもしれない。



千葉氏といえば北辰一刀流千葉周作の開いた、現代の剣道を形作ったと言われる流派である。私が剣の道に入ったのは司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んだのがきっかけだ。当時、千葉氏のことも家紋のことも知らなかった。千葉周作の先祖も私の先祖も、秀吉の小田原攻めで奥州に逃れた千葉氏の残党だったのかもしれない。私に流れる何かが剣の道に進ませたのだろうか。



北斗七星にも親近感がある。小3の時、初めて作文で表彰された。学校の何かの祝典の様子を書いた文だった。空にたくさんの風船が放たれた時、「風船よ、北斗七星になれ」と心に念じたところその通りになった、などと書いた気がする。担任の先生が作文全体に赤字を入れたが、風船のくだりはオリジナルのままだった。その部分を選考者に褒めてもらえて嬉しかったことを覚えている。



また、水というものに惹かれてきた。10歳の時、「半分の成人式」というテーマで、文章と写真を載せたアルバムのような冊子を学校で作った。友人たちは自分の文集に「夢」や「希望」とタイトルをつけた。私は「水」と名づけた。水のような人間になりたかったからだ。「水」がこの世で一番きれいな言葉だとも思った。小学生の私は、龍泉洞に憧れ、柿田川に憧れた。最近気づいた。「北」は「水」だ。



2月に母方の故郷をたずね親族たちに久々に会い、自分の半分は明らかにここの血が流れていると確信した。5月に足利学校を再訪し祖父とご先祖様の足跡を感じた。あの時いただいた資料は、お盆に帰省した時、祖父の仏前にそなえた。妙見、北斗七星、剣、水、教育。自分のルーツに想いを馳せ、調べて知るうちに、得られた符合。シンクロニシティ。忘れていた記憶も引っ張り出され、そのうち行きついたのが千葉神社だった。



そういえば、高校の剣道部に千葉くんという男の子がいた。小さい頃から剣に親しんでいた彼は、気が優しく、素直で分かりやすい剣道をする人だった。高校から初心者で剣道を始めた私は、早く強くなりたかった。強くなるには強い奴と稽古すればいい。そう考えて、いつも男子と稽古していた。優しい千葉くんはよく相手をしてくれ、おかげで私は上達し、そのうち彼にも勝てるようになった。



部を引退する時、色紙にそれぞれ別れのメッセージを書き、お互いに渡し合った。彼は驚くほど筆圧が強い字で私にこう書いてくれた。



「たえねばや はては石をも うがつらん かよわき露の 力なれども」



歌を贈られたのは初めてだった。ここでも「水」。彼が千葉氏の末裔なのかは聞きそびれてしまった。


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