茶、美、くらし

お茶と食事 余珀 店主。お茶、日本の美、理想のくらしを探求中

「小手あり」。三本の赤い旗が同時に上がった。夏合宿の部内戦。初めて先輩に勝った瞬間だった。


相手は女子で最強の先輩だった。「私のほうが稽古している」。そう言い聞かせて勝てないはずの試合にのぞんだ。相手が面にくるところを出小手で押さえ、その一本を守りきっての勝利。何度やっても勝てなかった相手だっただけに喜びもひとしおだった。先輩を越えた、そう思った。


サークルでは上下関係がはっきりしている。防具をはずすと、稽古の相手をお願いした先輩のもとに必ずあいさつに行く。「礼に始まり礼に終わる」という剣道ならではの光景だ。その時、先輩は後輩に一言アドバイスをする。


学年が上がるにつれて、後輩の稽古の相手をすることが多くなった。あいさつにくる後輩に、今度は私が助言しなければならない。


稽古で勝ったときは良い。負けてしまうとばつの悪い思いをすることになる。自分が負けた相手を前に、何をアドバイスしろというのか。「後輩には負けたくない」。いつの間にか、そう思って稽古をするようになった。


ひたすら上を目指していたときにはなかったプレッシャーだ。自分を越えようとする後輩の脅威がたえず迫ってくる。先輩に勝って手放しで喜んでいたことを思い出す。壁であり続けることは壁を越えることよりはるかに難しい。それが分かったとき、その役割を果たしてくれた先輩に改めて感謝した。


かつて目の前にあった壁。剣道を続けることに反対した親。希望しない大学をすすめた先生。その障害がなかったら、やりたいことは何か、つきつめて考えなかったかもしれない。ただ肯定するだけでなく壁となることが、育てる者の大切な役目なのだ。


代が替わり先輩たちは引退した。今度は私が壁になり、後輩の前に立とうと思う。



※昔の作文。剣道から離れてずいぶん経つが、いまだに竹刀と木刀を手放せずにいる。



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