茶、美、くらし

お茶と食事 余珀 店主。お茶、日本の美、理想のくらしを探求中

※注意(流血表現含む)

 

1年前、私は顔に穴があいた。

 

赤い岩肌。土埃。果てしなく広がる荒野に唐突に現れる奇岩。

つい数日前にこれを見た。そう、ここはモニュメントバレーだ。
四駆に揺られて進む。巨岩が近づき離れる。また現れる岩。岩。どこまでも走る。走る。走る。

 

と、そこで目が覚めた。衝撃と痛み。モニュメントバレーは夢だったようだ。
時差ぼけがひどくて階段で休んだ。そのまま眠って落ちたらしい。たぶん階段に顔をぶつけた。鼻が痛い。鼻血が出るかもしれない。なんて格好悪いんだ。
「大丈夫?」誰かが鋭く声をかける。
ゆっくり起き上がり「大丈夫だ」と言おうとしたとき、顔からぼたぼた血がこぼれてきた。量が多い。止まらない。あ、無理だ。そう思った。

 

はじめて救急車に乗った。たくさんの血が一度になくなると寒くなることが分かった。隊員の方が毛布をかけてもかけても、震えが止まらない。血まみれの私を見て、救急車に同乗した夫も貧血を起こした。
怪我をした状況を聞かれる。ゆっくり、はっきり、何度も、くり返して。耳はよく聞こえる。明るい大きな声に安心する。顔を押さえている手がどかされ、応急処置が行われる。傷の状況を確認する。「貫通」という言葉が聞こえた。救急車はすぐ病院に到着した。

 

医師の治療はライトでポップだった。
コツコツと針のようなものが歯に当たる。「これ分かる?」口を開けられない私は、ただ頷いて返事をする。「これね、顔の外から当ててるの」。鼻と口の間の傷は貫通していた。
先生は「うわー」とか「どこでやっちゃったの?」とか言いながら、素早く傷を縫い合わせた。「大丈夫、けっこう皆やってるから」と、先生。
治療の間にも続々と救急で運ばれてくる患者。男性のうめき声が聞こえなくなったと思えば、今度は子どもが泣き叫んでいる。「断末魔の声が聞こえるわね」と、先生。
さばさばした物言いと明るさに救われた。結局、鼻と口の間を縫ったほか、顔の骨が3ヵ所折れており、鼻の付近と足も縫った。前歯も欠けていた。

 

医師には、これから毎日歯磨きをして顔を石けんで洗うよう言われた。口の中まで裂けた傷を思い出しながら歯磨きするのも、縫われた糸の感触を指の腹に感じながら顔を洗うのも、嫌なものだった。
怪我をした次の日、雨の降るなかマスクをして外へ出た。折れた顔の右半分が腫れ、右目は開かなかった。傘をさすと極端に視野が狭くなる。縫った左足を引きずって歩く。顔の右側がぶよぶよとしたゼリーになったようだ。人が右側に近づくと怖い。何か物にぶつかりそうで怖い。無意識に顔をかばう。ストローといくつかの飲み物を買い、やっとの思いで帰宅した。この日、夫は私の顔を見ただけで泣いた。顔だけで人を泣かせたのははじめてだった。
マスクをしているあの人は、風邪とは限らない。顔の骨を折っているかもしれない。傷があるのかもしれない。怪我をしてからそう思うようになった。

 

人間の細胞というのはすごい。外出した次の日には右目が開いた。日ごと腫れが引いた。1週間後の抜糸の頃には顔の輪郭が戻ってきた。骨折による顔の変形もなく、麻痺もなく、手術は不要になり、通院もそれで終わった。折れた骨がくっつくのは1ヵ月後。傷がきれいに治るのは1年後。歯の治療を始めてよい。自転車も乗ってよい。と、先生。この日からしばらく、縫った場所に肌色のテープを貼り、マスクを付ける、というのが日課になった。

 

元来、私は丈夫だ。最後に風邪を引いたのがいつだったかも思い出せない。体調が悪いときは、「寝る」「食べない」「笑う」で治してきた。もっとも、「体調が悪いとき」はほとんどないのだが。
今回もよく寝た。しばらく絶食し、口内が回復してから食事をとった。ただ、「笑う」のが難しかった。口を開けられない。傷は塞がっているが変に広げることはしたくない。大口開けて笑いたいときに、口を閉じて我慢するのが一番つらかった。

 

怪我をして10日後、はじめてご飯を噛んで食べることができた。その1ヵ月後、お茶のお稽古に行けた。正座ができた。化粧ができるようになった。その4日後、トークイベントでマスクをとって人前に出た。2月に歯が治った。初夏、常に付けていたマスクをとった。そして、数日前、1年貼り続けてきた肌色のテープをとった。もう顔には何も付いていない。私は顔をとり戻した。

 

2年前にアメリカを素顔で旅し、顔の輪郭がはっきりしていくのを感じた。
1年前にアメリカ再訪から帰国した直後、その顔が壊れ、穴があいた。
ようやく顔をとり戻した今、ここからが本番のような気がする。
体は思ったより簡単に壊れること。それでも細胞は強いこと。本当のことは外からは分からないこと。そして、寝るときは安全な場所で寝ること。
ご飯を食べられるありがたさ。顔を洗えるありがたさ。思いっきり笑えるありがたさ。
親、そして先祖から受け継いだこの顔。前より好きになった。大切になった。それに前より強く、賢くなれた。あの「門番」も言っていたじゃないか。「良い樵というのは体にひとつだけ傷を持っているもんさ」、と。傷はもう十分だ。

 

※写真は今年2月、秋山まどかさんの個展にて。新しい顔をかぶせてもらった。この日、私は歯医者で前歯を治し、また一つ自分の顔をとり戻した。

 

2018年10月18日

 

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#モニュメントバレー