17年振りにこの絵にまた出会った。
その絵に出会ったのは、1999年の秋だった。つくばからバスに乗り東京へ向かう。国立西洋美術館「オルセー美術館展」に、それはあった。
「死んだ人ってこういう顔をしているのよ」。隣の人がつぶやいた。
1メートルほどの画面に、横たわる女性が描かれている。強く、そしてやや乱れた、ストロークの長い筆致。灰色のような、青いようなその絵に、釘付けになった。「死の床のカミーユ」。クロード・モネの作品だ。死んだ妻を、死んだその日に描いたものだという。
カミーユの顔が、祖母に見えて仕方なかった。棺に入れられ、花に囲まれた祖母は、ちょうどこんな顔をしていた。祖母が亡くなって、まだ1年経っていなかった。
訃報は大学受験の前日に届いた。「どうして、この時期に」。ホテルで聞かされたとき、ショックと同時に恨みがましい思いが頭をよぎった。そんなことを考える自分に驚き失望した。そのまま迎えた試験当日。失敗は絶対に許されなかった。母親を亡くした母をこれ以上苦しませてはいけない。乱れた気持ちのまま受験を終え、その足で通夜へ向かった。
白い装束に包まれて横たわる祖母。そこではじめて涙が出た。朝晩、仏壇の前でお経を上げる姿が目に浮かぶ。寺の住職にほめられるほど、熱心に墓参りをしていた。私の受験のことも病床で祈っていたらしい。脳梗塞で倒れ、体の右側は麻痺していた。「文の受験が終わるまで」。苦痛にうめきながら、そう言って持ちこたえていたという。少しでもあんなことを考えた自分に腹が立った。むしろ悔やんでいたのは臨終間近い祖母自身だったにちがいない。
幸いなことに大学には受かった。嬉しさよりほっとした。「おばあちゃんが守ってくれたんだよ」。母はそう言う。祖母は私を、そして母を守ってくれたのだ。
祖母は茨城に住んでいた。「おばあちゃんにすぐ会える」。盛岡にいた私が筑波大学を受けたのは、そんな気持ちもあったからだ。手に入れた学生生活。そこに祖母はいなかった。
2016年パリ、オルセー美術館。17年振りに再会した「死の床のカミーユ」。変わらない姿が胸に迫る。祖母と、あの日の私との邂逅。
巡り巡って、今、ここで、また会えたこと。そばに、大学で出会った夫が、私たち2人をここに導いた大切な友人が、いてくれる。あれから長い時間が経ったのだ。
私はもう、カミーユに会わずとも祖母に会えることを知っている。
失望しても、許せなくとも、自分を見よ。鏡に映るその顔を。
父が、母が、祖父が、祖母が、昔々の数え切れないご先祖様が、集まって、集まって、この顔に現れる。古から脈々と続く血がこの体に流れている。
静かにそれを感じればいい。いつでも思い出せばいい。ただ信じればいい。
おばあちゃん、ごめんなさい。
おばあちゃん、ありがとう。
2016年11月23日
#死の床のカミーユ